スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

お遍路旅 休憩の間

12月26日~1月5日まで


お遍路ではないけれど、
この間に起こったことを記述しておきます。
26日の早朝に、姉の友達に駅まで送って頂きました。
阿波海南駅から牟岐駅に向かうまでの間、
知的障害を持ったお兄ちゃんと魚釣りのお話をしました。
また、中津川から、塩尻までの間では、
岐阜から善光寺さんへ行くというおじいちゃんと、お話をしました。

最近では、列車に乗っていて、
見知らぬ誰かと話をするということは、
ほとんどなくなってしまいましたが、
私が、お遍路を通じて、話しかけ安い何かを
醸し出すようになっているのかもしれません。

牟岐駅で乗り換えるときには、
知的障害を持ったお兄ちゃんと私との会話を聞いていた
見知らぬおばちゃんが、気をつけて旅して下さいと、
声を掛けてくれました。

中津川から、塩尻の間、
おじいちゃんと話のきっかけを作ってくれたおじさんがいます。
私は向かい席になっている四人がけの一方に座りました。
もう一方の側に、そのおじいちゃんが座ってました。
その、おじいちゃんが自分の座っていたところに小さなバックを置き、
トイレに行っている間に、その席の隣にあるおじさんが
やってきたと思ったらいきなりドカっと腰を落ち着けました。
きっとそこに措いてある小さなバックは、
私のものだとでも思ったのかもしれません。
席は二人掛けなのですから、確かに一つは開いています。
ですから私は、その席には人が居ますとも言わず、放っておきました。
でも、おじいちゃんが席に戻ってきたときには、
おじいちゃんの小さなバックの上に自分のザックを置き、
二つの席を占有している格好になっていました。
そのためおじいちゃんは、私の隣に座ろうとしたのですが、
私はそのおじさんに、
「その、ザックを置いてある席は、おじいちゃんの席だよ。
ここにバックが置いてあるでしょ。」と言うと、
そのおじさんは、腹を立てて、別の席に移動しました。
おじいちゃんの方は、私に感謝して、私に話しかけてきたのですが、
席を立ったおじさんの方は、なんだか腹の虫が治まらなかったのか、
列車が空いてくると、
おじいちゃんの一つ後ろの二人掛けの席にやってきて、
私たちの会話がうるさいなーとか、一人小言を言い始めました。
私は無視していましたが、
あとから、本当は、このおじさんも寂しくて、
仲間に加わりたかったんだと思い、
私が持っていたミカンの一つもあげれば良かったと思いました。



ところで、この帰り道、
姫路から、米原に向かう列車が、
途中で踏切の遮断機が折れていたとかで、徐行運転し、
米原に着くのが20分遅れました。
そのため、米原で乗り継げるはずの列車に乗れないことが
その列車に乗っている間に判明しました。

そこで予定の列車に乗り継ぎできないと、
その日の内に松本まで帰り着くことができません。
青春18切符に余裕があれば、問題ないことですが、
帰りに残りの2日分を使うことが決まっています。

そこで、最後尾の車両に行って、
車掌さんに、今日、18切符で松本まで行く予定だったのに、
乗り継ぎできないことで、今日松本に着くことができません。
ついては、今夜のホテル代までだせとは言わないけれど、
せめて、今日の18切符の使用期限を一日延ばして欲しい。
と、交渉しました。
車掌さん、電話で、どこかに対処方法を確認していたようですが、
18切符の端の方に赤書きで
「12/26接続列車不栴のため、次日まで有効」と書き、
印を押してくれました。

おかげで、チケットを買い足すことなく、
松本まで帰ってくることができました。

で、名古屋に着くまでに、ホテルをスマホを使って
ネットで予約できるかと、探してみましたが、
当日の予約ができるサイトに行き当たらず、結局断念しました。

で、入ったのが、「サラリーマンホテル」と呼ばれる宿、
名古屋駅の南側中村区は、昔はドヤ街があった場所。
今は開発が進みきれいになっていますが、
ドヤ街で生活する人たちが利用する宿は健在でした。
そのような宿を、名古屋では、
「サラリーマンホテル」と呼ぶようです。
私が泊まった「サラリーマンホテル松竹梅」は、一泊1,500円でした。

私は、大阪の今成でこのようなホテルに何度か泊まったことがありますが、
大阪の今成の1,500円の宿は、
シーツは洗濯したてで、結構清潔感がありましたが、
この名古屋のサラリーマンホテルは、
もう何人もこのシーツのままで泊まっている。
という印象を受けました。

かなり、管理がなおざりです。
あまりに汚らしいので、服を脱がず、そのままベットに入りました。
お遍路に出て、ずっと、寝袋生活をしてきているとは言え、
古いとか、ぼろい、小さい、狭いというのは許せても、
汚いのはいけません。

もう少し清潔感を出さないと、やっぱり不浪者しか、
寄りつかなくなってしまうのではないかと思いました。




名古屋での夕食に、
「宮本むなし」という定食屋のチェーン店に入りました。
噂では聞いていましたが、このチェーン店、定食がかなり安い!
しかも、ご飯は、「お代わり自由」ということで
体育会系、肉体労働者系の人には有り難い店です。
料理は、作り置きしている訳ではないようなので、
出てくるまでに時間が掛かりますが、熱々の焼き魚が食べられます。
作り置きを選んで膳に取るよりも私は好きです
シートも座り心地が良く、食ったら早く出て行け!という感じではなく、
実際に、結構長居していらっしゃる方もいるようです。

その中に、二組の女性二人連れのグループがあったのですが、
こういう店に、女性だけで入っているってことに驚いたのみならず、
(牛丼屋は女性だけで入ることに抵抗感を持つ方が多いと聞いています。)
その二人の内、片方の人があぐらをかいている。という共通性を持っていました。
店の格が、そのような客を呼び込むというのもあるのでしょうけれど、
名古屋の女性は、公衆の場であぐらをかくことに抵抗感を感じる方が
少ないのかな?なんてことを考えました。

この「宮本むなし」さんは名古屋の空港セントレアからのバスの停留所の前にあり、
大きな鞄を抱えた女性の3人組が、私が出ようとしていたときに入ってきました。
名古屋の開けっぴろげな女性気質をほんの少し垣間見た気がします。





この、正月の間、
私が以前関わっていた「NGOカトマンドゥ」の代表の阿部先生に
お会いしてきました。

「NGOカトマンドゥ」というのは、
ネパールに支援している民間団体です。
http://www6.plala.or.jp/kathmandu/

私が、このNGOに関わらなくなって、10年ほどになるのですが、
その間の話を詳しく話を聞かせて頂きました。

この10年の間に、ネパールは、王政が廃され、
議会制民主主義が施行されました。
その間地方では、マオイストつまり、毛沢東主義者と呼ばれる
かつては反政府ゲリラだった勢力が幅を利かせ、
村人の9割以上がマオイストグループの一員になり、
非常にプロジェクトが進めにくくなったようです。

「NGOカトマンドゥ」では、森林育成と、女性の自立支援を中心に滑動してきたけれど、
そのための苗などを育成する施設3つの内2つをマオイストに取り上げられたそうです。
10年ほど前には、日本人支援者を連れて行って、マオイストに拘束されたこともあり、
それ以来、支援者を現地に連れて行くことはしてないと言います。

国内の支援活動では、NPO法人化したこともあったけれど、
毎年100万円、200万円と赤字が続き、
その上、法人格を維持しておくための経費手間が大きい上、
NPO法人にしておくメリットがなかったため、
NPO法人であることをやめたとのこと。


信州のあちこちの学校に依頼している
牛乳パックを集めて活動資金にしてもらう運動は
コンスタントに資金提供してもらえているので助かっている。
マオイストグループに奪われて不足した施設などを補充したいが、
郵便貯金などの支援がなくなって、活動資金は、
ちょっと苦しい状況にある。

世の中に、植林プロジェクトは数あるものの、
ほとんどが、「何本植えた」がアピール要素となっていて、
実際のその活着状態が不明なことが多いのですが、
この「NGOカトマンドゥ」のすごいのは、
それをきちんと把握して、活着しないところには、
そのための対応をしているってことです。

植樹後、何の管理もしなければ、
ネパールでは、植えられた木はほとんど1年掛からずに消えてしまいます。
ところが、「NGOカトマンドゥで植えた木は、
下枝を払うことすらはばかって、村人が、大切に大切に育ててくれるため、
とても活着率が高いのです。
本来は、村人が、下枝を払い、それを薪にするなど、
生活に利用してもらうことも考えての植林だったのですが・・・、
とはいえ、その甲斐あって、毎年、1万本2万本と植え続けた成果として
現在残っている木は200万本ほどになり、
以前は水が湧かなかったところにも水が湧くようになているとのことです。

ただ 一カ所だけ、10年来何を植えても、根付かない場所がありました。
その中に残っている数少ない樹木の葉を、山羊がどうやって食べているか、
先生は見てびっくりしたそうです。
山羊たちは、自分の背丈よりもずっと高いところにある木の葉を食べます。
どうやって食べるかというと、俗に言う「長い箸」を使うのです。
つまり、一頭が、木を足で押して木をしならせて、
別の仲間がその葉を食べるのだと言うのです。
山羊に、このような智栄、仲間意識があることに先生は驚いたそうです。

山羊がやってきて共同作業で葉っぱを食べていってしまうその場所で、
先生は、小さいながらもネパールハンノキが僅かながら残っているのを見て、
その場所ではこのネパールハンノキしか残れないのではないかと判断し、
そこにネパールハンノキのみを集中的に植えました。
その結果、その場所でも、緑が蘇り始めることができたと言います。

また、先生は、そろそろ高齢となり、プロジェクトを終結させ、
現地の人々による自立的滑動だけでできるようにならないかと
考え始めているようです。

そんな折、チベット仏教のある僧院で、
いきなり何の準備もない中で、講演をして欲しいと頼まれて、
ネパール人の前でつたないネパール語で講演をしたそうです。
その講演を利いた人々が、
自分たちもそのようなプロジェクトを運営すべきだと考えたようで、
その講演を聞いた有志の人々が、自分たちで資金を出し合って、
阿部先生がやったのと同じような植林プロジェクトを運営し始めているとのこと

そのことに先生は痛く、感激されていて、
自分がやっているプロジェクトもいつかそのように
自立していくことを願っている風でした。


その話の中で、
先生は、定期的に日本人が現地に行って、プロジェクトの状態を視察して、
いろいろ言って来ることは、それが大した助言でなかったとしても、
彼らに刺激を与え、きちんとそれぞれの役割を果たす上で重要だとして、
集団で行くことはなくなったにしても、
先生本人と、その他信頼している方に、
分散して年に数回現地に訪れて貰っているようです。

その中で、できれば通年、現地に留まってくれる人は居ないかと思っているようです。
で、お金としては、渡航費用ぐらいしか出せないけれど、
ネパール語でコミュニケーションできる協力隊のOV(オールドボランティア)に
そのような人は居ないかと尋ねられました。
私は、ネパールOVのメーリングリストがあるから、
そこで尋ねてみることはできるよ。
とは伝えましたが、考えてみれば、それって、
遠回しの私への依頼なんだろうな、と、後から気づきました。

実のところ、私は、その話に載ってみようかと気にも少しなっています。
まだ、確定はできないものの、
私の道って、やっぱりそっちに開けてしまうような、

お袋は痴呆になって、施設で預かって貰っていて、
子供の養育費はやはり捻出しない訳に行かない。
そんな中、どんなことになるのかは不明ですが、
いずれにしても、今年の間に一度ネパールに行って、
懐かしい人たちに会って、身の振り方を考えたいと思います。











年の瀬に受け取ったメッセージ



開けまして、おめでとう。

宇宙からのチャンネルに
口を開いてごらん。

あなたの信じている
宇宙からのチャンネルに、
口を開けるの

私だけが信じているもので良いの

私のもので良いから
宇宙からのチャンネルに口を開いて、
メッセージを受け取るの。

受けとったら、
その生き方をするの。


私がするの。

私がそれを決めれば良いの。
私で良いの。

宇宙からの私への大切なメッセージを
受け取って流すの。
それが私の役割

この世界での役割

私が楽になった分だけ
この世界が楽になるの。

それを信じるの。

落ちるに任せるの。
落ちるに委ねるの。

何処までも信じて

恐れがあると
ブレーキが掛かるの。

恐れは信じることができないから起きるの
信じ切っちゃえば、恐れは無いの。

私は楽にならざるを得ないの!!!
って信じるの。
信じちゃったら怖れは無いの。

信じちゃったら、それは起こるんだもの、
必ず起こるんだもの。

安心していられるじゃない。

安心して良いんだよ。

信じて良いんだよ。

信じたもんの勝ち!!!

私は楽になれる。
成って良いんだよ、
なるだけの価値があるって
信じて良いんだよ。
それが天国だよ。

自分で自分が認めた価値を周りも認めてくれる。

それが天国だよ。




落ちていく
その世界を
楽しめば良い。

だって、
必ず守られているんだもの。
楽しめば良いじゃん!

何で楽しまないの?

楽しんで良いって言っているのに!

自分で自分に与えた役割を楽しめば良いって
教えたじゃん。
教えているじゃん。

素直に受け止めれば良いだけじゃん。




それは、
私はここに居られる。
ここでこうして居られるという、
一瞬のためにあるの。
総てを忘れて楽しくなれる。

気持ちよくなれる。
豊になれる。
って感じられる。
この一瞬のためにあるの。


ありがとう。

この一瞬を与えてくれてありがとう。


忘れても、いつか必ず、この一瞬に戻ってこれるのよ。

だから安心して生きてくれて良いんだよ。





抵抗した分だけ
疲れるんだから
抵抗しなければそれだけ疲れずに済むのに、


でも、抵抗したいだけ抵抗すれば良いんだよ。
だって、抵抗できる内はまだ頑張れるってことだもんね。


あなたの好きなようにして良いんだよ。

それによってあなたは幸せになれるって信じられれば良いの。
それだけのことだよ。


今やっていることによって、
私は一番幸せになれるって信じられれば良いの
それができれば幸せなの。



信じられないことをやっちゃあ行けないの

本気で信じられることだけやれば良いの
それで、幸せなのよ。


そうしていられたら私はいつでもいつだって
幸せの絶頂にいられるって信じられたら勝ちなのよ。



朝から
すごいものを受け取っちゃっているなー。
夜明けだね~。
年明けだね~。
マヤの予言の通りだね~。


朝のこの時間は、とても大切だったのね。


神様ありがとう
教えてくれてありがとう。

まだまだ抵抗したく成りそうだけど、
受け取ってみます。
信じてみます。
私は最高に幸せになれます。

私は最高に楽になれますって
信じてみます。

信じます。

それを信じていたら、それは実現します。

どんな苦難を経ようとも

それは実現します。


私が頑張れるだけ
そこに行くのに、抵抗しているんだよ。

だから好きに抵抗して
好きに楽になった分だけ、楽になれば良い。



ねえ、なんだか、
とんでもなくすごいメッセージを
受け取っているよね。

受け取って居ない?
受け取って居ると思うんだけどなー。



今自分が、
楽になりたい分だけ
楽になっているって
信じ切っていていいんだよ。



私が、幸せになれるって
信じられればいいのに
それを信じられない。

そのことが一番の問題であり障害なの。


私が幸せになるのに
私が一番ブレーキを掛けていたの。



私は一番幸せになって良いんだよって
伝えていたのに、

私がそれにブレーキを掛けていたの

私が楽になれないように
ブレーキを掛けていたら、
私はいつまで経っても楽になれないの。

それは、私が私を信じられるか?
って処から始まっているの。



あなたの宇宙は私には分かりかねる宇宙です。
でもそれで良いんです。

私がそれを信じていれば良いんです。

信じ続けていられれば良いんです。


私が幸せになった分だけ幸せになれるんです。

私がブレーキを掛けた分だけ様々な辛いことが起きるんです。



落ちる風を信頼して受け止めて流すの
感じるの。
ジェットコースターに乗っているときのように
安心しきって感じて楽しむの。

それって、幸せだと思わない?



私が自分が幸せになれるって、
信じていられただけ私は幸せになれるの


信じていなかった分だけ

不幸せになるの


だから、信じるってこと大切なのよ。


私が、
この宇宙を生み出している神だって
信じられれば良いの

私が私の宇宙の神様なの

私が私の感じたい世界を生みだしているの
私が私の世界の主人で観客なの
そして演技者で
私が感じていたいと思っていた世界を
私が私のために叶えていたの、

私は
私の世界の創造主。

私は、私のの宇宙の創造主。

私が観たい世界を私は映しているの。

私が私を楽にすれば良い。


そうなるって信じただけ楽なる。
そう信じられなかった分だけ不幸を味わうの。
だってそれが観たい世界なんだもの。


どう思うかは私が決めて良いことよ。
そして私が決めたようにその気持ちを味わうの。

私はどんな気持ちを味わっていたいのかな?

その味わっていたい感覚を
いつでも味わい続けて居られるって信じていればいいの


信じた分だけ幸せになれるの。












正月明けに受け取ったメッセージ



私の周りの、あらゆることが、
自分が宇宙の中心でないことを
意味しているように、謀られているの。


あらゆる現実が、
私自身が本当は宇宙の中心に居るのに
実際には宇宙の外れの外れ、
そのまた外れの方に居るって思えるようにしているの。


本当は、私が宇宙の中心だったの。
だから、私が変われば、
宇宙が変わるんです。

そのために、私は変わらないとならないんです。


私が宇宙の中心で、
私が命を掛けることにこそ、
最高に求めているものだって
知らしめるの。



この世界の現実は、
あらゆることが、自分は宇宙の中心の外れの方に居て、
宇宙で起こっていることに対して、
無力だって、思い込ませるようにできているの。

そのことに、
宇宙の中心に居る。
私が気づければ良いの。


私の心も体も楽になるようにしてあげれば良いの。


私は私という宇宙の中心に居るの。
この宇宙には沢山の次元があって、
複層しているけれど、
私は私という宇宙の中心に居るの。

この私の宇宙は、
私が中心になって、変えていかないとならないの、

私が私の宇宙を住みやすくするの。
私が私の宇宙を生きやすくするの。

私が「私が実現する未来」を信じるの。
私が、「私が望んだ世界が実現する。」ことを信じるの。

私が、私が生きるこの世界が、
私が楽になるようしていったら、
最高に楽になれるって、信じて、それをしていくの。





私が私の宇宙の中心で、
私を信じなければ、
誰が私を信じるの?

私が私に起こることを信じなければ、
誰がその未来を保証してくれるの

私が私を信じるの、
私が私の未来を信じるの。


私が私の気持ちが軽くなることを信じるの。
自分の心で感じたことを、
気持ち良くできるよう、
自分で自分を換えていくの。

落ちるように落ちながら、
自分の気持ちが軽くなる。

私が、私の落ちていくのを容認するの
本当は、何処にも落ちていかない。
この世界はとても安全な世界だったんだって。
思い返せるようにするの。

私は、私を信じて良いんだよ。

私は、私に起こることを信じて良いんだよ。


信じるのと、
信じないの、
どっちが、楽ですか?

じゃあ、神様が楽にしてくれること信じて、
楽になろうよ。


楽になっても良いんだよって、
せっかく神様が言ってくれているんだから、
それを信じて、飛び込んで、楽になろうよ。



聞き間違え?
って、思いたければ思って居れば良い。
それで楽になれるならね。

あなたは、楽に成りたいの?
成りたくないの?
           どっち?


私が楽になれる道を徹底して選べば良いじゃん、
徹底して、気持ちが軽くなれる方を選べば良いじゃん。

他の誰でもない私が、
私の宇宙の中心で、
全身で私の気持ちが楽になれることしたら良いじゃん


私が私に起きることの総てを受け入れるの。
私が私を信じるの。

私に起きること信じて、
自由落下していくの。

そうしたら、あがく必要がなくなるから、
楽になれるの。








空腹を怖れちゃダメ!!
空腹で居られることに
歓びを見出すの。

空腹でも生きて居られることを歓ぶの。
満たしても、満たしても、満たないものは、
空っぽの時に楽になるの。

満たそうとするから
満ちることないの。

そういうものは、
空っぽにして措くのが一番楽に成れる方法なの。






スポンサーサイト

テーマ : 自転車旅行
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ねこって

Author:ねこって
 世に巣喰う(金融,医療,エネルギー等の)利権を排除し、メディアによる染脳から脱却し、オルタナティブな社会の実現を目指しています。
 キーワード、国民配当(ベーシックインカム)、千島学説、地球環境蘇生運動 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ご来場
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。