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お遍路旅16日目

1月 9日


昨夜、床に着いたのが夜中の3時でしたので、
朝がきつかったです。
とはいえ、バスターミナルの待合室、
いくら片田舎のほとんど人が利用しない待合室とはいえ、
そういつまでもそこに陣取っている訳にもいきません。
始発バスが出てしまったけれど、後の7時には、そこを払いました。


昨日引き返したちょっと先に、
御在所山全体を示し、韮生山祇神社に行く方法が書かれた看板がありました。
昨日、この看板を見ていたら、無理してでも先に行ったかな?
行かなかったのは、やっぱり正解かもしれません。
それは、この後分かります。


この、登坂の途中で沢山のメッセージを頂きました。




沢山の痛みを経験すれば、
痛みに強くなる?

そうじゃない!
乗り越えた経験が強くするのであって、
乗り越えられない経験を積み重なることで
人は余計に痛みに弱くなる!

多くの教育者は、そのことを勘違いしているんだよね。




この後、暫く何も降りて来ないので、
昨日あったことを回想して、
ノートを着けています。


とにかく、登りがきつく、
少し登っては、休みたくなる。
で、ノートに書きたいことも浮かんでくるので立ち止まり、
ノートに書き込むということを繰り返しているので、
なかなか先に進みません。登れません。

と共に、休み時間が長くなったりすると、
余計に疲れが吹き出したりしてました。

道は険しく、かなり上り坂が続くのですが、
ずーっと林の中で、ほとんど眺めが良くなる場所がありません。
おそらく、夏はずっと日陰を走れるでしょうから、
陽に照らされた暑さは避けられそうです。

しかし、今は真冬
真冬の自転車旅行は体温調整が課題です。
というのも、何もしてないときは寒いと思っていても、
自転車で走り始めると体を使うため
走り出して暫くすると、汗を掻きはじめて、
走り出す前に寒くても、すぐに、防寒具の中でムレムレし始めます。
それが、上り坂ともなると、ワーッと汗が噴き出すことになり、
ムレムレが、すぐに、ヌレヌレになってしまいます。

で、体力が無くちょっと休むと、
吹き出していた汗は、パッと止まり、
今度は、ヌレヌレの汗が蒸発して急激に寒くなってくるのです。
そのため、長く休めば休むほど、体を冷やすことになり、
自転車を漕いでいるときと休んでいるときのギャップが、
体温的にも、体力的にも大きく感じるようになっていきます。

それが、長時間続くと、ヘロヘロ、バテバテとなってしまうって訳です。
このときはそんな状態で750mの標高を4時間かけて稼ぎました。
はっきり言えば、自転車を置いて、下から歩いた方が、
往復時間を考えても、なんぼか早かったと思えます。



体力バテバテの中、何もイメージが来ないので、
昨日のことを、つらつら思い浮かべてました。
最初は、そこから自分を見返していますが、
途中から、メッセージになって、降りてきました。


昨日は、マクドナルドでの時間のかなりを、
私のiPhoneからのメールが文字化けして読めないという苦情処理と、
私からのメールが着信拒否していて読めない
ということに対しての対処に注ぎ込んでいました。
そのことを思い返し、
それは私にとってどういうことなのかと、
振り返ろうとしたことに始まります。



今、私に起こっていること。
自分で問題解決できない。
自分で問題解決使用としない。
ひとがいる。

私はどう向き合うべきなのでしょう?

妻とは、それで別れたような・・・、
私は結婚当初から、彼女に一生懸命合わせ続けました。
でも、彼女にとってはそれが当たり前、
「合わせられない私が悪い!」そう思っています。
私は、必死に合わせ続けようとしたけれど、
仕事を失い、収入が無くなったことで、
そんな彼女に合わせられなくなっていき、
自分で問題解決しようとしない彼女に腹が立つようになっていきました。
何かがある。腹が立つ。
何かがある。腹が立つ。
その繰り返しとなってった・・・。


私は、この状態の中で、
何を学ぶべきなのでしょう?

私は、自分の分で精一杯なので、
他人の分まで背負えない。
そう感じています。
そして、彼女の分、娘の分まで背負おうとして、
折れました。


私が、一人で行動している時、
外から見ると、
私が一人で果敢にこの世界に向かっている姿は
かっこよく見えたりするらしいデス。
でも、私は、誰かの分まで背負えない人。
とても弱いひと。


それに最初に気づいたのは、
学生の頃、山小屋で歩荷(ぼっか)の仕事をした時。
荷物の無い時の私は、
とても早く、山谷を超えて走り回っていました。
ところが、荷物を背負うと、途端に、前に進めなくなっていた。

馬力がない軽自動車といった感じの私。
馬力がないから、普段はきびきび小回りが利き、
スイスイ走り回れても、
だからと言って荷物を積んだら途端に走れなくなってしまうのよね。


「ごめんね。私は、ここまでしかできないの。」
ってカラカラ笑えたら、それで良い?

誰かのために、ああしたら、こうしたらって気を回し
疲れてしまい安い私。
私って、依存されることに弱いんだよな~。
依存されるとすぐにへたっちゃう。
頼りになりそうで、頼りにならない男でした。


つまり、ストレスに弱いってことだよね。
ストレスに、超弱い私。
情けないね。
悲しいね。
寂しいね。
切ないね。

でも、それが私。
背伸びしたって、それが私。

背伸びし続けたら壊れちゃう。


自分自身だけのことなら、
何とでもなるけれど、
他に依存してくる人が居たら、
何とかしてやりたくても、何ともできない私。

母の場合もそうだよな。
私にはとても痴呆になった母の世話なんかできやしない。
施設が母を預かってくれていて、
姉が時々やってきて母の面倒を看てくれて、
ようやく何とかなっている。

ストレスに弱いから、
何かあると、すぐに腹が立つ。
怒りが外に現れる。

怒りっぽいのは、ストレスに弱いからだよね~。


じゃあ、どうすれば良いの?
強くしようと思ったって、
強くはならないよ。

自分の弱さを受け入れるしかないね。
私は弱いんだって。
弱い私を受け入れるの。
軽自動車の私を受け入れるの。

弱い私を責められたって、仕方ないじゃない。
だって、元々弱いんだもの。
能力のないこと責められたって、仕方ないじゃない。
だって、実際に能力が無いんだから。
諦めて受け入れるしかないの。

誤解されようと、曲解されようと、
それは、そういう器を選んで生まれた私の責任。
それは、私がそれだけのことしかできないことで実った果実。
だから、受け入れるしかないの。

この世界のあらゆることは、
私が対処したこと、対処できないことで生み出した果実。
だから、受け入れるしかないの。
みんな、私の責任なの。

誰かを責めたって解決しない。
自分を責めたって解決しない。
ただ受け入れるの。

ただ受け入れて、自分にできること、たんたんとやってくの
背伸びせず、無理をせず、たんたんとやってくの。

背伸びしたり、無理すれば、
それは、怒りに結びつく。
これだけしているのに! って腹が立つ。

自分に向き合って、
自分にできることをしていくの。

この世界で私に起きていることは、
私が引き起こしていること。
私の選択の結果として、
今の私にそれが起きているの。

だから、それは受け入れなきゃいけないの。
誰かに誤解されようと、
誰かに曲解されようと、
それが辛かろうと、
切なかろうと、
それは、私が引き起こしている結果なのだから、
私は受け入れなければならないの。


誰かの意見に従うも、無視するも、
あなたはそれを自分で選んでいるよね。
あなたに起こる総てのことは、
そうやって自分で選んだ結果なの。
だから、それは、誰のせいでもないの。
自分で取捨選択した結果なんだから、
自分でその結果を引き受けて、受け取るの。


大丈夫!!
総てを受け入れたら、
結果は自ずと着いてきてくれる。
抵抗したら、抵抗した分だけ辛さを味わうよ。
その辛さに耐えられるだけ、抵抗してるのよ。

この言葉を、受け入れようと、受け入れまいと、
それはあなたの自由。
そして、そのことで起こることは、あなたの選択した結果。

自分に起こること、信頼すると決めたなら、
徹底的に信頼してごらん。
途中で疑い始めたら、
そこから辛さが始まるの。
恨み辛みが募り、
そこから辛さを味わい始めるのよ。

だから、一度自分に起こることを信頼し始めたら、
最後まで信じ続けるんだよ。


何を信じていようが、
何を拒否しようが、
自分に起きる総てのことは、
自分自身の選択の結果なんだって
受け入れることができれば、
それで、十分なのさ。


この世界で起こっている総ての結果は、
結局、自分で選択した結果ってことよ。
分かるでしょ。


それが分からなくたって、
自分の身に起こることは、
自分が信じたり、自分が無視したり、
期待を掛けたり、切り捨てたりと、
自分で選んできた結果。

その程度には、受け入れなきゃいけないよ。

以上




地元の人は、「韮生山祇(にろおやまずみ)神社」という名前では、
この神社のことをほとんどの人が、認識していないようです。
ですから、どなたに聞いても、「それってどこ?」と、
誰に聞いても聞き返されてしまう始末です。

どうやら、「御在所神社」と尋ねると、
「ああ、あの高いお山にある神社ね。」という風に返事が返ってくるかもしれません。
ですから、「韮生山祇(にろおやまずみ)神社」という名称でネットで検索しても、
やっぱりあまり情報が得られません。
で、「韮生山祇神社」の名前で調べたネットの情報では、
神社は御在所山の麓を示していましたが、実際の神社は、山頂にあり、
ネットで調べて出てきた位置は、神社への登山口でしかなかった。
という状態でした。

ですから、前日、地元の人に道を尋ねた時に出てきた情報は、
正しいものだったという訳です。
ただ、地元の人は、ほとんど、
「韮生山祇(にろおやまずみ)神社」という名前を知らない。
それが落とし穴でした。

ちょっと進んでは、自転車を降りて、ノートを取り、休んで、
ちょっと進んでは、自転車を降りて、ノートを取り、休んで、
ということを繰り返しながら、いつになったら着くやら分からない状態でした。
そうしている内に、林道は、舗装が切れて、
更にその先では工事をしていて通行止めになっている様子でした。
工事現場の手前に休憩所があって、何台もの車が駐まっていました。
そこに、一人おじさんが居たので、
「韮生山祇(にろおやまずみ)神社に行きたいのですが、
 この先には進めないんですか?」と尋ねました。
すると、「韮生山祇(にろおやまずみ)神社? なんだいそれは?」
とのご返事、
で私は「御在所山にある神社の様ですが、」と言うと、
「御在所神社だったら、あんたが来た道の途中で大きく道がカーブしたところに
 鳥居が見えたはず。 そこから登っていくんだよ。」
そう言われました。
全く鳥居には気づきませんでしたが、言われるがままに、戻っていくと、
大きく道がうねっている所に確かに鳥居が立っています。
その鳥居の上には「韮生山祇神社」という標識が掛かっていました。
間違いありません。
その鳥居をくぐって登っていった先が「韮生山祇神社」です。


この、ほとんど訪ねる人が居ないと思える神社に
階段の一段一段がとても高い急な階段が、延々と続いて居ます。
途中階段がなかったところもありましたが、
これだけの階段を築くのは現代でも難工事です。
いったいどんな人たちがどんな想いでこの階段を築いていったのか、
感嘆せざるを得ません。

そんな山道、階段を登っていくと、
一組の夫婦が降りてくるのに遭いました。
やはり、知る人ぞ知る山のようです。
この時期にこの山深い神社を訪ねる人が居るとは、想いもよりませんでした。


弘法大師が、この地を札所から外し守った理由が分かるような気がします。
多くの札所では、様々な人々の、現世的願望や、想いが
渦巻いているような気がしますが、
この場所は、とてもすがすがしい空気が覆っていて、
現世的世界から隔絶しています。


神社は、将に山頂にありました。標高は1,080mです。
1時間歩いて350m登りました。
幸い、膝に痛みは生じませんでした。
昨夜舐めた、ホメオパシーのレメディー「ラストックス」が効いたのでしょうか?
膝、大腿部付け根の痛みを避けるため、
自転車で登ってきた甲斐がありました。


丁度、12時のチャイムが麓から聞こえてくるのと、
山頂の神社の前に立つのが重なりました。

希望的予定では、9時ぐらいには神社に着くってことでしたが、
その期待は大きく裏切られました。

帰り道でも、登ってくる一人のおじいさんに会いました。
この寂れたように見える神社でも、
やはり、注目し、関心を抱いて登ってくる人が居るのは
そう言う場所なのだからかもしれません。
本当に、気のある人しか登ってきません。

自転車のある所に戻って来た時には1時になっていました。
自転車に跨って、さあ、出ようと思ったら、
どうも、後ろのタイヤに空気がありません。
仕方ないので、タイヤにめいっぱい空気を詰めて、
降りていきました。
登りに4時間かけた道を20分で降りてきてしまいました。
ブレーキが効きにくくなっているので、
この急な下り坂は、下り坂とはいえ疲れました。

そして、麓の村のところまで戻ってくると、
やっぱり、後ろのタイヤの空気がなくなっています。
これは、間違いなくパンクだな。
と思い、道の脇を水が流れている所で自転車を止め、
後ろの車輪を外し、チューブを取り出して、
水に浸けてチューブを点検しました。
ところが、パンク箇所が見つかりません。
何度やっても見つかりません。

結局、そのままチューブをタイヤに納め、
再び、空気を詰めて走り出しました。
こういう場合は、多くの人は、ムシゴムを疑うでしょう。
でも、フレンチバルブにはムシゴムはありません。
どこから空気が抜けているのか、
2,3日すると、空気を詰め直さないとならない状態であったことから、
高度差が1,000mあったことで、空気が抜けやすくなっていたのかもしれません。


大分、遅くなってしまいましたが、
高知市内で落ち着くために、
今日は、29番国分寺、30番善楽寺は回ってしまいたい。
そんな想いを抱いて居ました。

昨日の夕方寄ったたこ焼きスタンドは今日はお休みでした。
お昼と、昨日差がしていた耳宛が有ったことを報告したかったのですが、
ちょっと残念でした。

途中のスーパーで、値引きされた弁当を買って、
おつりを貰う時、
自転車をいじったままで、手が真っ黒で、ちょっと恐縮し、
そのスーパーのトイレで、手を何度も石けんで洗いましたが、
やはり油が残って手の汚れは残りました。

多くの人は、手袋をすれば良いとか言いますが、
私は手袋をしていると、細かな作業がし辛く、
どうも手袋を仕手の作業は好きになれません。


焦りつつ、国分寺に行くと、
焦っている分だけ忘れ物、失敗が起こるもの。
ペンを自転車に置いたままで、
奉納札に今日の日付と、住所氏名が書けません。
走るようにして、自転車に戻ったりと、
あわただしく先に進もうとしますが、
それほど、早くできている訳でもなかったことでしょう。
それでも、3:50に国分寺を出て、
4:30には、30番善楽寺に着くことができました。

掃除をしているお姉さんに、次の竹林寺のすぐ上に展望台があって、
そこが野宿する人によく使われているという話を伺いました。
そして、風が強い時には厳しいとの話も聞かされました。

納経所のお姉さんからは、
キャンディーを二つ頂きました。
そして、野宿スポットについて伺うと、
やはり、展望台を教えられました。
この二人の助言で、今夜の宿泊先は決まりです。

善楽寺のすぐ隣は、土佐神社
おそらく、土佐神社が先にあって、
そのパワーを感じ、弘法大師がこの地に寺を置いたのではないかと
私は勝手に思っています。
ですから、本来であれば、先に土佐神社に参拝しなければなりません。

ですが、納経所が仕舞ってしまうことを怖れて、
先に、善楽寺を参拝しました。

その土佐神社の本殿で、神主(巫女)と思われるお姉さんと、
社務長さんと思われるおじさんと、話をした所、
その方々は、韮生山祇神社のことを知っていて、
すぐに話が通じ、
あそこはとても強いエネルギーがあり、
多くの人に行くことを薦めているとおっしゃってました。


その後、暗くなった道を、STSの高知支部に向かいました。
幸いに、閉める直前の6時にたどり着き、
ちょっと高かったけれど、500円のイチゴを頂きました。
とて~も甘いイチゴで、中まで真っ赤です。
こういう甘いイチゴは、スーパーに並ぶ前に
欲しい人が次々にやってきて買っていくでしょう。
そういうスーパーで買えないイチゴを味わせて頂きました。

STS高知支局で水を汲ませて頂くとともに、
近所の美味しい店をご紹介頂きました。
それは、県庁のすぐ近くにある「墨(ぼく)」という名の店です。
http://tabelog.com/kochi/A3901/A390101/39004273/
高知の美味しいものを食べたかったら、お勧めの店とのことです。

ちょっと貧乏な私には、厳しいお店とお見受けしましたが、
予算はと聞かれ、2,000円と伝え、
それで美味しく夕食を戴きました。
その、品の多さにはびっくりです。

まず、みそ汁。
しっかり、鰹のだしが効いています。
次に、刺身、「歯鰹」というもののようです。
普通の鰹よりとろっとしており、
その脂の分だけ、白っぽくなっている印象です。
これは、日本海では捕れない魚で、高知や九州でないと食べられないとか、
里芋の煮付けも、こってり、とろっという感じ、
更に、ちょっぴり一味が振りかけられ、そのコントラストがすばらしい。
ご飯は堅めに炊いてあり、味がしっかりしたご飯です。
高知産のお米ってこんなに美味しかった?
ほうれん草のごま和えは、
シャキシャキした歯ごたえを残すよう茹でられていました。
ブロッコリーと、タマネギの酢和えもシャキシャキしていました。
酸いものが苦手な私にも美味しくいただけました。
春雨の酢和えもシャキシャキ歯ごたえが良かったです。
私が大いに気に入ったものが、
「牛タンの筋の煮込み」これは、絶品でした。
牛の旨が、これほど主張される肉はこれまで食べたことがありません。
これは超お勧め品です。
あと、キャベツと生節のトマトチーズの煮込み
これは創作料理の領域です。
トマトソースでロールキャベツを味付けするようにして、
そこに生節とチーズを加え、煮込んであります。

2,000円でこれだけの料理が出てきました。
その上、STSの高知支局の方が、私への接待(お遍路用語)として、
ビールをおごってくれていました。

この店で、とても、美味しく高知を食させて頂きました。
普段私のような者が入るには高い印象を受ける店ですが、
予算をしっかり伝えて、その中でお任せでお願いしても、
滅多に食べられない美味しい食事をさせて頂ける店でした。

この店は、歯ごたえを大切にしているという印象を受けました。
そして、牛タンのように、その素材の味を引き出すのも
上手な気がします。

高知に行くことがあったら、

夕飯はちょっと高めと感じる方は、
ランチ650円がお勧めだとのことです。
いろいろ食べたい女性にこのランチは人気だとのことです。
私も一度、そのランチを食べたいと思いました。


そこで、食事をした後、
バッテリーの充電と、ネット接続のため
マクドナルドに寄りました。
マクドナルドでは、12時まで過ごし、
その後、市内にある、朝倉神社に寄りました。

さすがに夜の12時を過ぎると、神社には誰も居ません。
街中の神社としてはかなり、最初の鳥居からの奥行きが長くあります。
それだけの力を持った神社と言えそうです。

そのあと、かの有名なはりまや橋付近の歓楽街をぐるっとして、
お姉さんから伺った展望台に向かいました。

五台山公園の展望台への登り道、
昼間なら、めげていたかもしれません。
さんざん苦労して登ってアルチメーターを見たら
標高100m!! えっ! それしか登ってないの?

どうも翌日下まで降りてきて標高を測ったらマイナス55mだったので、
かなり大きな冬型の高気圧に覆われていて、
標準より、50mあまり低く表示されているようでした。

五台山公園、もう、夜中の1時半だというのに
沢山のカップルが入った車が駐まっています。
展望台にも一組降りました。

高知市内の絶好夜景展望ポイントのようです。
その展望台の裏手に、テントを張らず眠れる箇所を見つけて、
そこで床を作って寝ました。


本日の走行距離83kmでした。











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プロフィール

ねこって

Author:ねこって
 世に巣喰う(金融,医療,エネルギー等の)利権を排除し、メディアによる染脳から脱却し、オルタナティブな社会の実現を目指しています。
 キーワード、国民配当(ベーシックインカム)、千島学説、地球環境蘇生運動 

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