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お遍路旅34日目

1月27日

ソフトバンクの電波の届かない黒瀬ダムの湖畔の
何にもない道路敷きの空き地にテントを張り寝てました。
一旦夜の10:30頃目が覚めましたが、
再び起きると、4時半を回ってました。

テントを出て、空を見上げると、明るく満月が輝いています。
まぶしいほどです。
これほど明るければ、懐中電灯は要りません。
そういえば、ネパールでは月明かりに頼って歩いたことが思い返されます。

昨夜は、目一杯着込んで寝袋にくるまったので、
寒くて眠れないということはありませんでした。
指を折って数えると、8時間から9時間寝ていることになりますが、
それでも眠いのは何故でしょう?
1日3時間しか眠らなくても、8時間9時間寝ても、
その後には眠気が相変わらず襲ってきます。

きちんと寝ても眠い、眠らなくても眠い。
ならば、眠る時間は削った方が良い。
それで、私は睡眠時間を削るような生活を普段からしています。
でないと、寝ている間にできたことが一杯あったのに!って、
後悔の想いが走ることが度々あります。

とは言え、テントの中では何もできません。
テキスト入力を試みたこともありますが、
姿勢が悪くなるためか、異様に疲れ、すぐに諦めました。


起きてから、
昨日、途中で売っていた一袋100円の甘いミカン数個と
4つで100円の渋抜きをした「あたご柿」という大きな柿を一つを
朝飯代わりに頂きました。

ぼそぼそと、片づけをして、テントを引き払えたのは6:30でした。
その頃にはもうすでにお月様はほとんど沈み掛けており、
月明かりはあまり宛てになりませんでした。

外はやはり寒く、濡れていたタオルが凍っていました。
寝ていた時の恰好のまま、
つまり、綿入オーバーパンツと、ジャケットを着込んだまま
自転車に跨りました。


朝、出る時に、
「石鎚山は神の領域だから、訪ねるのは朝でなければダメ。」
というメッセージを頂きました。
なるほど、そういう訳だったのですね。
メッセージを受けられるのは午前中だけなのかもしれません。

そういえば、
31日目に天満神社に向かおうとして、
多くの人に「遠い。遠い。」「今日は諦めなさい。」
と言われていたのも、
同じようなメッセージだったのかもしれません。
だとしたら、その信号を無視し続けてしまった私はバカでした。
メッセージに従って、翌朝天満神社に行っていれば、
また新たな出会いがあったのかもしれません。
天満様、せっかくの貴重なメッセージを無視してしまい、
申し訳ありませんでした。
今にして、そう思います。


料金所まで行く途中、急なカーブの中央で下り坂という場所で、
沢の水が溢れて道路を覆っている場所があり、
その水がしっかり凍り付いていて、
自転車でその上を通った瞬間にステーンと転びました。
スピードがさほど出ていなかったのと、
オーバーパンツにジャケットを着込んでいたことで
それほどそのときはダメージを感じず、
オーバーパンツ、ジャケットがクッションになって、
雨具も穴を開けずに済んで、良かった良かったと思いました。


お遍路地図帳に書かれている横峰寺の説明では、
この寺は、お遍路さんに、
最後まで自分の足で登ってくることを要求してきた寺だったようです。
つまり、最後まで車道もロープウェイもなかった寺のようです。


昨夜、テントの中で過ごす間に、水筒の水を零していて、
ゴアテックスの手袋の左側をぐっしょり濡らしてしまっていました。
朝出る時にその濡れた手袋を絞ると、ポタポタと数滴水が垂れました。
と言ってそれで乾くものではありません。
やはり、自転車に乗り始めると、かなり冷たく、
左手がガチガチに手が凍り付きました。
それでも、自転車に乗っている時間が短かったため、
その冷たさに耐えなければならなかった時間は長くなく、
歩き出してからは、それほど気にならなくなりました。

やはり冬季に自転車に乗る時は、手足の末端部が冷たくなります。
それがマイナスの気温となると、
歩いている時の数倍の防御が必要です。
その手袋の水濡れは、不注意も良いところでした。

自転車を降り、歩き出しても足は情けないほど重く、
なんだか、酸素の少ないネパールのトレッキングをしている時を
思い出してしまいました。
気はあっても、足がちっとも上がらないのです。
一歩足を前に出すごとに、筋肉が悲鳴を上げて
痛みが湧き上がります。


空はしっかり晴れ渡り、気持ちの良い空が広がり始めています。
ただ、谷の中のため、太陽さんには暫くご対面できませんでした。


その、登り道で、うつらうつら考えていたこと
  (ノート、途中からメッセージを受け取るようになる。)

想いがあっても、段取りする技量がなければ、
この世界では、貢献できないのかな?
人々は、想いの強い人よりも、
技量を持っている人の方に集まりたがる。
それは間違いない事実。

想いはあっても技量がないと、
コストパフォーマンスは悪くなる。
段取りが悪いため、浪費が多くなり勝ちになる。
今の社会は、それを良しとはしない社会だよね。
私のような迂闊者は、そのために、気を抜いているとすぐにはじかれる。
そのことを私は十分知っていたからこそ、
そうされないために、
私は気を張って頑張って、頑張って、頑張り続けて、頑張ってきました。



 ここから受け取ったメッセージです。

もうそういうのは、終わりにして良いんだよ。
落ちる勇気さえ、あれば。
あがくのを止め、落ちなさい。 落ちなさい。
思い切り落ちて行きなさい。
抵抗するのを止めて、
ありとあらゆることを楽しみなさい。


自分からの視点を離れ、
相手、周りの人の視点の世界を楽しみなさい。
相手が、どんな世界を見ているか
自分が見出したそれが、本当に相手が見ている世界なのか、
確かめるために、自分が観たその人の世界を
言葉にして確かめなさい。
それを共有してもらえたことに相手は納得してくれるでしょう。
それだけで十分なのです。
あなたは、自分の考えを口にする必要はありません。


落ちるところまで落ちなさい。
自由になりなさい。
そして、それを楽しみなさい。




 以下、再び私の言葉(ノート)

霊峰は、大勢で登らない方が良いネ。

そして、自分のペースで登りながら、
受けるメッセージを書き留めるの。
大勢だと、それをしていられない。


この辺で、右足に激痛が走り掛けて来ているような気がしてきました。
左足の激痛の次は右足?
太龍寺に登った時は左足が痛くなりましたが、
今日は右足に来始めている感じです。
右足をかばいながら、でもまた、左足に来たらどうしよう。
そんなことを考えながら歩いていましたが、
後で考えたら、右足の痛みは、
朝、転んだことによるダメージだったような気がします。
転んだ時には大したことないと思っていましたが、
結構体に来ているのかもしれません。
そんなこともあって、
今日は、65番三角寺まで行くことは考えず、
どこかで温泉にでも浸かりたいとの考えが頭に過ぎります。

今日は、日曜日だというのに、この石鎚山横峰寺に訪れる人は僅かです。
私を追い抜いて行った車で来た人が一人、
私が降りてくる時に登ってきた岡山の女性が二人
私が歩いて登って降りてくる間に見たのはこれだけでした。
これほど訪れる人が少ない札所も珍しい気がします。


料金所で、何故、無人であってもお金を取らないのかと思ったら、
車は終点まで上れる状態ではありませんでした。
来るまでお遍路をされている皆さん、途中で車を降りて歩いています。
昨日、脅された「駐車場まで行けず歩いている。」
というのは、「この日だけ雪でそうなっている。」ということではなく、
冬期間の間ずっとそんな状態のようだという意味で正しかったのでした。


60番横峰寺、昨日引き返した地点を過ぎて、
寺に近づくに従い積もっている雪の量が急激に増えていきます。
寺にまで来た時には積雪が1m近くあるのではないかというほど積もっていました。

この寺の入り口は、山門を無視し、
裏口というか、いきなり太子堂の裏側から入るようになっています。
旅に出てきてから2,980円で買った靴です。
防水、抗菌で、見た目はトレッキングシューズっぽかったりするのですが、
靴の底はデッキシューズのように、引っかかりがありません。
そのため、雪の上は滑る滑る。ツルツル状態で、とても恐く、
怖る怖る歩かなければなりません。
この雪の中、かなり神経を使いました。

帰りの下りの道で、
情勢二人に、「滑るから気をつけてね。」
と言った私がその後暫くして転んでしまいました。

雲辺寺の境内は狭く、
通路と通路の間は、通路からはじかれた雪が高く積み上げられ、
雪が人の背丈ほどにもなっています。
そんな外の軒下で、時間を掛けて、かじかむ手を温めながら、
いつものように手、首筋、顔、鼻、口を洗って身支度を調えました。
さすがに、この環境で首筋に水を掛け顔を洗うのは勇気が要ります。
それでも、凍えながらかじかむ手で納め札に祈りを書き留め、
お参りを済ませました。
参拝のために手袋を外し、両手を合わせているだけで、
両手がかじかみました。



納経所の中は暖房が効いていて暖かでした。
納経所のおばさまに、昨日、すぐそこまで来て、
4時を回ったので引き返した話をしました。
すると、「下の、料金所の処にもその表示は出してあったはずです。」
とおっしゃられました。
「でも、私は、昨日も通ったし、
 今日は、料金所に自転車を置いて来ましたが、
 そんな表示はなかったですよ。」と私は言ってしまいました。
帰り道に料金所で確認すると、
納経所のおばさまがおっしゃったように、表示されていました。
いろいろな表示が沢山ある中で紛れてしまい、
私が読み飛ばしていただけでした。
やはり、私は迂闊です。
その迂闊さを自覚して、人の話に耳を傾けていなければならないね。
と改めて思いました。


納経所のおばさまに、
「納経所の中のベンチで暖まっていって下さい。」と言われ、
お言葉に甘えて、外のベンチに置いてあった荷物を中に引き込んで、
濡れた手袋をファンヒーターにかざし乾かしたりしていると、
おばさまが、生姜湯を振る舞って下さいました。
たぶん、これは、他の人にはしてないサービスです。
それを有り難く頂こうとしていると、
更に甘い和菓子を一つ差し出して下さり、
なんだか、感謝で、涙が出るような思いでした。

おばさまは、
今日は、この冬一番の冷えで、マイナス5℃になっていた。
とおっしゃっていました。

信州の我が家では、マイナス5℃は、それほど寒い内に入りませんが、
横峰寺の雪の量が、その寒さを一層引き立ててくれる気がしました。



帰りの下り道で受けたメッセージ

もう少し、『相手の視点から』を大切にしなさい。
必ず、その人には、想いがある。主張がある。背景がある。
自分とは違う視点から見ているその世界を味わいなさい。
その主張の背景にあるものを
みんな丸ごと受け入れなさい。



帰りの、自転車の置いてある料金所までの下り坂では、
これまでになく、
その荷が肩に食い込み痛くて痛くて、あまりにも痛くなり、
その後は、メッセージを受けるどころではなくなっていました。
ザックの荷はそれほど多くありません。
いつもと同じか、それ以下です。

いったい、あの肩の痛みは、何だったのでしょうか?
何か理由があったと思うのですが、よく分かりません。
横峰寺から私に載って何かが着いてきたのでしょうか?
肩が弱い私は、何かで重くなるとすぐに、肩が悲鳴を上げます。
何しろ私は軽自動車ですからちょっと重くなっただけで、
前に進めなくなってしまいます。


横峰寺の有料道路が、普通自動車1,800円と高額なのは、
良いことだと思います。
この道路は、地元の森林組合が管理しているようです。
日本の森林管理者は、何処も資金がなくて運営が苦しいのが実態です。
こうやって、副収入を得ることで、
石鎚山の周辺の山林が守られるのであれば、
とても大きな意味があると、私には思えます。

おそらく、冬の間は、何か事故があっても責任を取り切れないので、
通行料金は徴収せず、一応、表面上は「通行止め」表示をしておき、
何かあった時の責任からは逃れられるようにしているのでしょう。
森林組合に副収入の機会を与えたことは、
最後までお遍路さんに、歩いて登ってくることを要求した横峰寺の
最後の妥協案という感じでしょうか?


横峰寺の有料道路の料金所の自転車の処に戻ってきた時には
11時を回っていました。
そこから、麓の西条市内の寺や神社を巡りました。
最初の目的地は、61番香園寺です。

お遍路マップから、昨日来た国道196号が国道11号に交わる地点の少し先
というイメージをしてました。
その、交差点を越えたか越えないかというような処に、
大きな鳥居が建っています。
おっと思い、その神社に寄りました。
三嶋神社という、結構、格式のある神社です。
本殿の脇にこの神社のパンフレットが置いてあったので頂いてきました。
大山祇命ほか、二柱を祀ってあって、「三嶋」なのですね。
実は、この神社の裏側には古墳があって、
私には、この古墳の守り神としてこの神社ができた気がしてなりません。

そして、目指していた、香園寺は、この三嶋神社の裏側、
その古墳のすぐ前でした。
やはり、この寺も、神社と同じ理由で、
この古墳のエネルギーを空海が感じて寺を置いたのではないかと
思えてなりません。

さて、その香園寺に入ろうとしてびっくり、
目の前にはなんだか黒っぽい威圧感のある建物が正面に建っています。
普通のお寺にはない、大きなコンクリート造りの建物です。
どうも、それが本堂になっているようです。
今日は、日曜日ということがあってか、
幼い子供、生まれたばかりの子供を連れた家族がゾクゾクと参拝に来ます。
別名「子安大師」と呼ばれ、
子供がすくすく育つようにと、多くの方がお参りに来るお寺のようです。


なんと言うことでしょう。
本堂だと思った一階でお参りして、さて、太子堂はと思って探し回ろうとすると、
どうも、ご本尊様も太子様も2階に安置されていて
2階ではロウソク線香禁止なんてことが立て札に書かれています。
その2階のお堂も異様でした。
中央のご本尊に向かって、劇場のように座席が設置されていました。
なんだか、ものすごい商業主義的な臭いを嗅いでしまい、
興ざめした気分で、本尊と太子様に参拝して来ました。

そういう想いが行けなかったのでしょうか?
再びここに、線香、ロウソクを忘れてきました。


次の、62番宝寿寺は、香園寺から10分も掛からないところにありました。
行くと、納経所に「13時まで昼休み」なんて表示が出ています。
今まで、納経所に昼休みがあるとは知りませんでした。
これまでも昼時に納経所に入ったことは何度かあったような気がするのですが・・・、
ここは、香園寺とは一変して、マイペースで寺を守っている印象です。
そのためにこじんまりとしています。

で、そこで、線香とロウソクを香園寺に忘れてきたことに気づき、
即刻香園寺まで戻り、線香とロウソクを取り戻し、戻ってくると、
1時前でしたが、納経を待っている方のために納経を始めていました。

そこで、おもむろに、
手水舎で身を整え、納め札に祈りを書き留め本堂に向かい、
ロウソクを付け線香を上げようとしていると、
納経所のおじいさんが私の処に来て、
風で舞っていたと言って、納め札を持って来て下さいました。
祈りを書き留めた納め札が手元になかったことに全く気付きませんでした。
おじいさんありがとうございました。

参拝を終え、納経所に行くと、
先ほどのおじいさんが先に来た方に納経して居るところでした。
そこで、私もそれに引き続き納経して貰おうとすると、
いきなり、右隣のガラスが開き、今度は私が納経する番よ。みたいにして
隣のおばさんが手を前に出そうとしてました。
で、私は迷っていると、
「おじいさんはどちらでも好きな方で。」
というので、先ほどわざわざ納め札を届けて下さったこともあったので、
ここはおじいさんに納経をお願いいたしました。

おばちゃん、ご免なさい。そのことを一言言えば良かったね。
なんだか無視されたみたいでイヤだったろうね。


次の寺に入る前に、ラーメン屋に入りました。
赤地に白抜きで『ちゃあしゅう工房』と看板にあり、
ご飯が只で付いてくるみたいなことが書かれています。
で、味噌ラーメンが人気だというので、
その味噌ラーメンを注文しました。
味噌ラーメンは550円とリーズナブルです。
これに、ご飯が付けば結構コストパフォーマンスが良い。
と、思いきや、味噌ラーメンが出てきたところで、
「ご飯も付けて。」というと、
「100円追加料金が掛かります。」と言われてしまいました。
「店の外の看板にはご飯無料とあったような気がするのですが?」
と言うと、
「それはチャーシュー麺だけのサービスなのだそうです。」
ちなみに、店の名が「ちゃあしゅう工房」なのに、
この味噌ラーメンには、ちゃあしゅうが1枚も載っていませんでした。
きわめて普通というか、がっかりのラーメンでした。
私、これに550円出すんだったら、
120円の中華三昧の方が好きだと思ってしまいました。


その後、63番吉祥寺、
ここで参拝していると、雪が舞い始めました。
明日、明後日と、三角寺、雲辺寺と、山にある寺を回らなければなりません。
嫌な予感がちらほら、
でも、怖れていても仕方ありません。
きっと導かれ、必要なことが起こるって
なるようになることを信じるしかありません。

その後に訪れたのは、石鎚神社です。
大きな神社です。
神社のご神体は石鎚山で、
奥社(頂上)、中宮、土小屋遙拝殿、そして、ここ口之宮本社と4つの神社により
構成されているのだそうです。
その広さ、大きさに圧倒されました。
それほどまでに、石鎚山って信仰されているのですね。

私には、その中の大楠が印象的でした。
おそらく、この大楠があったからこそ、
ここに口之宮本社が置かれたのだと思えてなりませんでした。





次に、すぐ近くの伊曽乃神社を訪れました。
この神社も結構広い敷地に立派な神社が社を構えています。
社務所もあって、
辿り着いた時には、神社の入り口の屋根のある門の処を
神主さんが外を歩いていました。
神社にこういう門があるのは珍しいです。
そういえば、石鎚神社にも仁王門かと思うような門がありました。
そのガラスの中には両側で天狗さんがにらみを効かせていました。

その石鎚神社の山門の裏側には大きなわらじが置かれていました。
これって、多くの札所の仁王門でも見られたものです。
仏教のお寺では本来、鈴や鐘を本堂の前で鳴らす習慣はなく、
本来これは神社で神様をお呼びするための呼び鈴のようなモノだったはずです。
私の勘違いでなければ、

そのことから、真言宗がが神道の影響を受けていると共に
神道も真言宗の寺の習わしに影響されているというのを感じます。

ところで、仁王門の裏側に大わらじを置くのは何故?



次に、この日の最後の訪問地、飯積神社に行きました。
丁度陽の沈む時間と重なった頃、神社に着きました。
社務所はありませんでしたが、敷地の広い神社でした。


この西条市、それほど大きな市でもないのに
大きな寺や神社がやたらに多いという印象のある町です。
この地の人たちだけの信仰では、この神社や寺は成り立たないでしょう。
将に、様々な神様仏様がひしめきあっている信仰の町という印象です。
石鎚神社のように、霊験あらたかなお山をご神体として居る神社から、
香園寺の様に、新たなニーズを呼び起こして、西条市に人を集めています。


一日の中で、しかも午後だけで、
なんだか飛んでもない数の神社仏閣を回ってしまいました。
少々食傷気味です。


この後は、次の目的地の65番三角寺にできるだけ近づくべく、
新居浜市に入り、そこのマクドナルドでネットにアクセスし、
日記のアップロード、日記のテキスト化をして過ごし、

1時過ぎてから、そこを出て、
新居浜市内に「売物権」という看板の出ている
かつては喫茶店だったらしき店の軒にテントを張りました。

どうやら、ここの家主だった方、夜逃げをしたみたいで、
中が片づけられないまま店が売りに出されていました。



本日の走行距離は、49kmでした。
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テーマ : 自転車旅行
ジャンル : 旅行

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プロフィール

ねこって

Author:ねこって
 世に巣喰う(金融,医療,エネルギー等の)利権を排除し、メディアによる染脳から脱却し、オルタナティブな社会の実現を目指しています。
 キーワード、国民配当(ベーシックインカム)、千島学説、地球環境蘇生運動 

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