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武道で根性がつくという幻想

気になっていたことがありました。
それは、「中学校武道・ダンスの必修化」における推進論者の根性論です。
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/jyujitsu/1221013.htm

 これは、文科省が平成20年3月告示の中学校学習指導要領で
 必須化を推進してきたことで論議が湧いた時期があります。

 最近でこそ、あまり、話題になっていませんが、
 この四月より本格的に導入されることが決められています。

 これは「美しい国」を旗印にした国粋主義者、安倍内閣(06.9.26-07.8.27)時、
 政治主導の「教育再生会議」で盛り込まれた数少ない安倍晋三政権の遺産です。


 この指導要領の推進者は、「根性論」を語り、
 反対者は「事故を心配するというように
 全く議論が噛み合っていなかったと思います。





 その趣旨は、
 「武道に積極的に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解し、
 相手を尊重して練習や試合ができるようにすることを重視する」
 とのことです。

 指導要領には表だって『根性』という言葉は使われていませんが、
 実際に指導する武道家には、根性論を振り回す
 頭が筋肉でできていてシナプスが足りない方が多いようなので
 そのことは注意しなければならないと、私は考えます。

 そして、それを振り回す輩が指導している時に、
 『事故』が起こると私は考えています。



 これに似た例に、「戸塚ヨットスクール」があります。
 このスクールで子ども達の根性をたたき直して貰いたいと望む親が居て、
 子ども達が集められました。
 しかし、そこで行われたのは実際にはリンチです。

 死亡事故が起き、告訴されるなど、
 このスクールに対する風当たりがかなり強くなった時期がありますが、
 手を付けられない子供が世の中から居なくなった訳でもなく、
 スポ根的な指導が子供を矯正すると信じる人々が、
 このスクールに頼り、このスクールを支え、
 時々問題が起こって表に現れることがありますが、
 それでも頼る人が後を絶たず、延々と、経営され続けています。




 教育再生会議の提言では
 武道を通じて、徳目や礼儀作法、形式美、様式美を身につけさせる。
 ということでしたが、
 この、「徳目や礼儀作法、形式美、様式美」ってのは
 どうして武道と結びつくのでしょう?
 茶道、華道、はたまた弓道にはそれはないのでしょうか?
 どちらかというと、武道で覚えるよりも、
 そういったもので覚える方が効率的な印象を私は受けるのですが、

 柔道や、剣道に年間で10時間触れさせて、
 どんな効果を狙っているのでしょうか?

 日本の武道というのは10時間程度やっただけで
 身につくモノなのでしょうか?

 武道導入派にはこの疑問に答えることができる人は
 居ないだろうと思います。
 どうも私には、子供に武道を身につけるよりも、
 子ども達に対する『威圧』が目的のような気がしてなりません。
 威圧が目的であれば、
 月に1時間程度でそれなりの効果があるかも知れない
 と思えたりしています。



 まあ、そんなことを主張したくてこの文章を書き始めた訳ではないので
 その話は、ここまでとします。
 ここで、考えようとしているのは、『根性』です。


 まず、
 『根性』とはなんでしょう?
 誰かの暴力に対して、歯を食いしばり、耐えることでしょうか?
 武道以外の指導では『根性』は身につかないものなのでしょうか?
 根性を身につけるのに、野球やサッカーではダメなのでしょうか?
 はたまた、公務員試験、大学受験をに挑もうと思った時、
 そのための勉強を続けるのに、私には『根性』が必要な気がしますが、
 そのための『根性』は武道を身につけることで得られるのでしょうか?

 こういったことを考える時、大きく抜け落ちているのが
 『根性』とは、一体なんなのかということではないかと思えます。

 このことをきちんと理解していなければ、
 それを身につけさせることもできないのですが、
 どうもうやむやのまま『根性』論のみが先行していくことが
 多いような気がします。


 おそらく、武道で根性を磨いたとして、
 勉学でその根性がどの程度発揮されるか?
 全くゼロとは言わないですが、
 それほど効果が上がるとも思えないですがどうでしょう。

 もしそれがイコールで結びつくとしたら、
 世の多くの武道家は、特別枠で入学せずとも多くの一流大学に進学できるはずですが、
 どうも、そういうことはないような気がします。

 つこれは、武道で養った根性は、
 必ずしも万能ではないということを意味しているように思いますがどうでしょうか?

 私は、『根性』という言葉を聞いた時、
 「歯を食いしばって我慢する。」もしくは「歯を食いしばって頑張る。」
 という場面をイメージします。
 これは、『根性』と言っていますが、
 実際のところ「堪え忍んでいる姿」に他ならないと私は考えています。


 そこから、私は『根性』を『忍耐力』と捉えて
 差し支えないのではないかと主張します。
 もう少し突っ込むならば、目的を手にするための『忍耐力』と言えるかもしれません。
 ただ我慢するというのでは、未来に希望が見えませんが、
 目的を見据えた上で、その目的を手にするために耐えることができるかどうかで
 『根性』があるないが分かれているように見受けられます。


 それは、武道に限ったことではありません。
 漢字を覚えるにも、英語と単語を覚えるにも、
 一つでも多く覚えようと思ったら、『根性』が必要なように思えます。

 ところで、武道で養った『根性』は、どの程度、英語の単語の暗記に役立つでしょうか?
 全く役に立たないとは言わないですが、
 それほど大きな力にはならないような気がするのは、私だけでしょうか?
 もし、武道で養った『根性』が勉学にも役立つという考え方が定説化しているならば、
 世の中の進学校はどこもかしこも武道を相当に取り入れていて良さそうですが、
 どうもそういう話は聞きません。
 むしろ、進学校は、そういう部活動を逆に軽視する帰来さえ感じます。

 つまり、『根性』の捉え方に、
 何か間違いがあると考えて良いかもしれないということです。


 ここに
 一つの同じ目標を達成するのに、ヘラヘラと笑いながら達成する子供と、
 歯を食いしばり、眉間にしわを寄せながら達成する子供が居たとします。

 それぞれ、A指導者、B指導者に就いていました。
 あなたは自分の子供をどちらの指導者に預けたいと思うでしょうか?
 大概の人は、前者のA指導者に預けたいと思うのではないでしょうか?

 ところが、日本の教育の基本的な教育指導要領では、
 『根性』を身につけさせたいということで
 B指導者が選ばれるというのはどういうことでしょう?

 武道を強くするにも、英語の単語を覚えるにも
 ヘラヘラ笑いながら楽しく、強くなっても、覚えることができても良いはずが、
 歯を食いしばって学ぶことを覚えさせようとする教育指導ってなんでしょう?

 はっきり言えば、歯を食いしばってやるよりも、
 ヘラヘラしながら身につけてしまうヤツの方が強くなるし多く覚えるもの
 のような気がしますがどうでしょう?

 何故かといえば、「歯を食いしばる」というのは辛くやりたくない事であるのに対し、
 同じ事をヘラヘラとできるということは、それを楽しむことができているので、
 自然に反覆回数も多くでき、積極的に取り組むため、飲み込みも早くなるからです。


 じゃあ、どうしたら、そのようにすることができるのか?
 ということですが、
 それは、純粋に「心理学」の研究テーマであって、
 体育教師の研究テーマではないです。


 そして、この回答は、すでに100年前に
 アルフレッド・アドラーという心理学者が解き明かしています。



 『忍耐力』というのは単純に、過去の「達成感」により生まれます。
 過去に達成した経験が豊富な子供は、自ずと『忍耐力』が身についているし、
 達成する前にその達成しようとする勇気を削がれ続けてきた子供は、
 『忍耐力』を身につけてこなかったという違いがあるだけです。


 忍耐力が『達成感』と分かってしまえば、
 武道で身につけた『根性』が勉学でどの程度役に立つか
 想像できるでしょう。
 いくら、武道で達成感を多く味わっていようとも、
 勉学で勇気をくじかれることが多かったとしたら、
 いくら武道で『根性』を養おうとも勉学には役に立たないって事です。



 ここに、もう一つ付け加えたいことがあります。
 『根性』論の危うさには、『反逆者』を生む可能性が強くある。
 ということが挙げられます。

 忍耐力を削ぐ勇気をくじかれるだけならまだしも、
 反逆者を生むということは、
 その先に、犯罪者になって行く可能性を高めます。


 どうしてそういうことが言えるのか、思い描くのは簡単です。
 やりたくないことを無理矢理強引にやるよう強制され続けたら、
 どんな感情が生まれるかを想像するだけで十分です。

 それが反抗心です。
 そしてそれが親や特定の教師にだけでなく、
 学校組織そのもの、社会そのものに向けられるようになること、
 それが反逆者を生む土壌となります。

 多くの子供が親との間で反抗心をはぐくみ、
 学校でもやりたくもないことを強制され、
 反抗する度に、ねじ伏せられ続けたら、
 と考えたら、身震いしてきます。

 中学校への武道必修化には、子供を強くする以上に、
 指導する側が子供への強制力としての効果を狙っているように
 私には見えてなりません。


 『根性』に対する認識をきちんと持っていない指導者が武道の指導者となったとき
 その教育の効果によって、子ども達の反抗心を育てることになり、
 この社会に災いをもたらす効果しか得られなくなる可能性を
 私は指摘しておきたいと思います。

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テーマ : 中学生のママ
ジャンル : 育児

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No title

はじめまして。たまたま見させていただいて、気になったのでコメントさせて頂きます。

私は高校時代に剣道をやっていましたが、稽古は激しく、辛いもので、文字通り血反吐を吐くようなこともありました。
おっしゃるとおり、「根性」を忍耐力と捉えればそもそも忍耐力のない人間には続けられない(やりたいと思わない)だろうし、その忍耐力が向く方向も人によって違うと思うので、根性をつけることが目的だとすれば必修化は全くの的外れだと思います。

しかし、武道の目的というのは根性ではないと思います。

すべての指導者がそうするとは限らないですが、武道を学ぶときに初めに教わるのは「礼節」です。
この礼節は指導者に対する礼節ではなく、自分を高めてくれる稽古の相手、ひいては毎日鍛錬に励んでいる自分自身への礼節です。
そう私は解釈していました。
この礼節は日常生活・社会生活でのトラブルを避けるための形としての礼節ではなく、すべてを尊重することを目的としたもので、相手・自分・環境、自分自身の存在を形作る全てのものに対する礼節であり、これまでの自分自身の成長はこの経験無くしてはなかったと考えています。

そう考えるとたかだか10時間では培えるものでもないので必修化する必要がないと私自身も思っております。
やっていた身としては若い子たちに少しだけでも触れてほしいなと思うのが本音ですが。

あと、アドラー心理学について触れていらっしゃいますが、勇気づけの理論を利用した(もっともらしく使った)宗教まがいの商売が横行している学問で、実際には机上の空論となってしまう事が多いと個人的には思っています。
マーケティングに使いやすい理論がおおく、学んでいる方もそれぞれのの都合のよい解釈で、教わった側も妙に納得させられてしまうのでこちらも武道と同じように注意して学ばないと危険な学問だと思います。
商売に使いやすいんですね。
そもそも人の心なんか体系付けるのが不可能だと思いますし。

あまりに長くなりすぎて本筋を見失いそうなので言いたいことだけ言わせてもらいますと、何かに偏り過ぎた教育こそが私はもっとも危険なものだと思いますし、学校の教育だけで人間は育たないということです。

件の武道に関して言えば、指導者側が武道一本で生きてきたことが問題として現れているのだと思いますし(根性論だけの指導だとか・・・)、勉強だけができてコミュニケーションが取れない人間というのも社会生活を営む上で生き抜くのが困難なのではないかと思います。

嫌なことでも経験することによって、生きるための何かの糧となればいいのであり、実際に私自身27年生きてきてひとつも無駄だと言い切れる経験はないと感じています。勉強は高校生の頃は嫌いで無駄だと思っていましたがw

教育に関してのそもそもの問題は、全てのものを教える側が用意するのが当たり前になっており、学ぶ側の学ぶ姿勢を作れていないことだと思います。
あれもこれもと社会が手助けしすぎて子供たちは自分から学ぶことや楽しむことを見つけられなくなってしまっている気がしてならないのです。
子供の時の私の話をしますと、雲の流れる速さがそれぞれ違うことに気づいただけでも「世紀の大発見!」みたいに感じていました。
嬉々として友達に話して聞かせたり、親にも自分の大発見を自慢したりしていました。
でも、勉強して知識が増えるほどそういった気持ちになることは少なくなっていき、ものごとに対する意欲が削がれていったような気がします。


いま問題とすべきは社会が用意する教育制度ではなくて、子供たちがどうやって物事に対して意欲を持てるようにできるかということや自分から学べる環境を作るための方法ではないかと思います。
これは学校だけに教育を任せきりにしていたらおよそ不可能なことです。

そもそも子供を育てるのは親ではないでしょうか?

学校が学校がと昨今はよく耳にしますが、学校の教育だけで人間が悪くなってしまうという意見はさすがに子供に対して無責任だと思います。

放っておいても子供は育つし、自分にとって必要だと思ったら自分なりに勉強したり研究したりします。それが魚釣りで魚をよく釣る方法か、100mをいまより0.1秒早く走る方法か、難しい本を読むための漢字の勉強をするかの違いだけです。

子供が悪い方向に進んでしまうのは興味の持てるものがなくなった時にその計り知れないエネルギーを向ける対象を見失った時ではないでしょうか。
まずはそういうことに親が気づいてあげられないと、子供がかわいそうだと思います。

長くなりましたが、不適切な発言があればご容赦くださいませ。

ちなみに私は教育関係者などではなく、ただの会社員ですので、教育者擁護のつもりなどではありません。
読み返してみると自分でそう感じてしまったので付け加えさせて頂きます。

名無し様、長文のコメントをありがとうございます。

 ただ、私の文章に何か違和感を感じたらしいことは分かりましたが、
 何をおっしゃりたいのかがさっぱり分かりませんでした。


 まず、「武道」の目的が「礼節」にあるとしながら、10時間では全く足りない。
 と述べていらっしゃいます。
 とすれば、やはり、この武道必修化は全く無駄でしょう。
 また、私にはその「礼節」を学ぶなら
 他にもいくらでも学ぶ方法があると思いますがどうでしょう?
 「武道」でなければならない理由が何処にも見当たりません。

 自分がかつて柔道をやっていた人が柔道を奨め、
 剣道をやっていた人が剣道を奨めるのはごく当たり前のことで
 それは、柔道や剣道に限ったことではないでしょう。
 では何故、そこから、空手が外れ、弓道が外れ、はたまた、茶道や華道ではいけないのか?
 ということには答えていません。


 「アドラー心理学」を「宗教まがいの商売が横行している学問」と
 切り捨ててしまうのもまた、嘆かわしいです。

 相手に湧くであろう感情をイメージできれば、
 大概は理解できることを筋道建てて理論化したとても平易な心理学です。

 あまりにも実践的なためにお題目のように
 「宗教化」させている方もいらっしゃるかもしれませんが
 理論はとても単純です。


 現在の教育そのものが、
 本質的にどうしたら効果的に必要なことを学んで貰うことができるか?
 ということを考えることなく、
 武道を必修化するような小手先の手法に走ってしまっていることが
 文科省の専門家達の最大の失態なのです。

 そもそも、「学ぶ側の学ぶ姿勢」を生み出すのも、
 教育したい側である教師の責任です。
 それは、教育を受ける子供側の問題ではありません。

 そして、子供のその意欲はどうしたら湧き上がられることができるかは
 すでに十分研究され尽くしていることです。

 たとえば、 
獨協医大・永井伸一名誉教授「子供をダメにする」親の研究
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31665
 こういうのは、私からしたら、今更という印象を抱きますが、
 親だけではなく、教師も理解できておらず、
 あちこちで日常的にやってしまっていることです。

 筋道を立てて、子供がどんな感情を抱くかイメージできれば
 自ずと分かることであるにもかかわらず、
 教育界では全く分かっていないという情けない状況が続いています。

 その意味に於いて、
 「子供が悪い方向に進んでしまうのは興味の持てるものがなくなった時にその計り知れないエネルギーを向ける対象を見失った時ではないでしょうか。 」
 というのは、勘違いでしかありません。
 「エネルギーを向ける対象を見失っている」のは、親であり、教育者です。
 そのことに気づかない限り、
 子ども達にまともな教育を与えることはできません。

日本の原点を取り戻すにはどうするのか

今回の武道必修化に関しては、自分もどうかと思います。
実際の話、日本の伝統的な文化や価値観を復権させようとするのなら、ねこってさんも言われるように茶道や弓道をさせた方がいいでしょう。
これらならよほどのことがない限り、死亡に繋がる事故はないですし(ただし、弓道はあからさまに「武器」を扱うので、その分注意が必要ですが、あと、茶道も熱湯を扱うので注意が必要ですね)。
それに、茶道も弓道も「礼節」を重視してますし。
自分自身、やれる範囲でお茶を点てていて月1回くらいのペースで弓道場に行っていて、その他にも、独学でお能の謡と仕舞のお稽古をしています。
その目的は一人の日本人として生き切るためです。
結局、今回の「ダンス・武道の必修化」の問題点は、「日本人としてどう生きるのか」という視点が欠落していることだと思います。
また、「教育」というものを考えた時に、真っ先に考慮すべきなのも「人間としてどう生きるか」でしょう。
簡単に言うと、パソコンにおける「OS」をインストールするプロセスが教育であり、そのOSとは道徳や哲学のことですね。
今の学校で教えることはただのアプリです。
どんなにアプリが優秀でも、「OS」がグダグダな如何ともしがたいことは、この国の官僚や議員が証明しているでしょう。
なにより、日本人は日本人として生きるための、道徳や哲学に則って生きるからこそ日本人でいられる。
そのための「教育」をすべきだし、その流れの中から生み出された、文化や伝統を復権すべきだと思います。
そのうえで、戦後に失われた「日本の原点」を取り戻せればと自分は思うのです。

Re: 日本の原点を取り戻すにはどうするのか

 我無回 様、
 コメントをありがとうございます。

 確かに、OSとアプリの違いかもしれません。
 義務教育で必要なのはOSをきちんと造ることです。

 教育する側がきちんと筋道を立てて系統的な教育ができていないのに、
 その教育を受ける子ども達にまともに育てというのは無理があると思っています。

戦後日本の教育は

ねこって様
戦後日本の学校教育は、「アメリカ型である」と言われていますが、一昨年亡くなられた小室直樹さんは、そうではないと主張しています。
アメリカの学校教育は、前述のアプリとOSの例で言うと、高校ぐらいまでは、アメリカ人として生きるためのOSをインストールすることに注力して、専門分野のアプリに関しては大学以降に各自が行うようです。
そして、アメリカ型と言われる戦後日本の学校教育は、どうでもいいアプリを大量にインストールすることばかりして、OSは全く考えなくなりました。
その挙句、学歴と財産と家柄を取ったら後には何も残らない、鳩山とかが総理になるわけですね。
小室さんによると二宮金次郎を手本していた戦前の学校教育の方が、「アメリカ型」だったそうです。
道頓堀アンダー・ザ・ブリッジこと橋下大阪市長が、「憲法9条が原因です」と言って、ブームを起こしているようですが、それ以前に教育を含め、今の日本の惨状の原因は、敗戦で「心」まで負けてしまったことにあるのかもしれません。
その「心」を取り戻すことができるかどうかが、これから問われると思います。
そして、今回の「ダンス・武道の履修」がその「心」を取り戻すことに、いくらかでも役に立つことを、祈るべきなのかもしれないですね。

子供に教えたい言霊

 なかなか良い内容なのでリンクします。
サトルの泉 2012年03月05日
子供に教えたい言霊
http://subtleeng.thd-web.jp/e16496.html

Re: 戦後日本の教育は

 なんとも悲しいですね。
 安倍晋三氏の遺産に期待を寄せなければならないとは、
 悲しいですね。

 私は目指すならば、スイス型を目指すべきだと思います。
 古今東西、国家が教育に関わると碌なことがありません。
 地域の共同体が担うべきだと思います。
プロフィール

ねこって

Author:ねこって
 世に巣喰う(金融,医療,エネルギー等の)利権を排除し、メディアによる染脳から脱却し、オルタナティブな社会の実現を目指しています。
 キーワード、国民配当(ベーシックインカム)、千島学説、地球環境蘇生運動 

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