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蟻からキリギリスの時代に向けて(4)

副題 すでにキリギリスになっても大丈夫な資産を持っている。


(1)
(2)
(3)



 素朴な疑問
 社会のあらゆるところで機械化が進み、
 あらゆる生産物が効率よく生産されるようになったのに、
 どうしてほとんどの人は、未だに8時間労働、
 さらには長時間のサービス残業までして働き続けないとならないのでしょう?
 なぜ、途上国の人々は植民地から解放されたにもかかわらず、
 餓え続け、益々飢餓が蔓延していっているのでしょう?

 これに答えられる人いらっしゃいますか?



 19世紀にヨーロッパで産業革命が起こり、
 様々なモノの生産効率が高まりました。
 それと共に、各国が世界に植民地を持つようになり、
 その産物が、自国内に輸入されるようになりました。
 そのおかげで、自国と近隣諸国に限られていた経済圏は、
 世界中を相手とするようになりました。

 18世紀までの搾取のピラミッド(搾取構造)は、
 自国の領地だけ眺めることができれば理解できたのですが、
 19世紀に入り、そのピラミッドの構造が世界に広がりました。

 つまり、先進国と呼ばれる国の搾取のピラミッドの最底辺の人々は、
 搾取のピラミッドの最底辺にいる訳ではなくなったのです。

 そのため、多くの労働者は、
 単純に、工業化が自分たちの生活を楽にしてくれたと思い込んでいます。
 それは、教え込まれた知識でしかありません。
 染脳の場である、学校教育では、そう答えるのが正解として扱われています。

 ところが、実は、その豊かさは、海外に不況の輸出をしていて、
 その分だけ自分たちが搾取から免れていたという
 構造的な理由に依るものだったのです。


 工業労働者は、安い賃金で働く下層労働者でしたが、
 そこで生産される衣料品は、植民地に輸出され、
 そこで市場競争力にモノを言わせ奪ってきた食料で、
 その工場労働者の食料を確保しました。
 それにより、工場労働者の不満は抑えましたが、
 結果として、それは植民地の農園労働者の生活を奪うことになりました。


 これを、「格差の輸出」「不況の輸出」と呼んでいます。
 そのために、先進諸国の最底辺に居る人々には、
 搾取のピラミッドが見えなくなりました。

 そのことから、自分たちが先進国の一員で、産業革命の恩恵をうけ、
 それ故に、豊かな社会生活を営むことができる優位性を持った国民だ
 と信じ込ませることができ、
 途上国の人々は、未開で知識がなく、それ故に貧困なんだ。
 と思い込むようにされました。
 我々は、知識を持っている資本主義社会の住人だから、
 効率的に自分の代わりに仕事をしてくれる工業製品の恩恵を受けることができ、
 途上国の人々は、知識がないためその恩恵には預かれないという考えは、
 先進国の人々の強い支持を取り付けました。


 私たちは、化石燃料を使ったエネルギーにより、
 かつてと比べ、生産効率が数百倍数千倍と
 飛躍的に高まった時代を生きています。

 人口が増えて、増えた分だけ食料が足りなくなると、
 問題視されている方がいらっしゃいますが、
 その間人口は 18世紀の産業革命が始まった頃は10億人程度だったのが、
 1950年には、23億人、現在2011年で70億人と、
 せいぜいが10倍になった程度です。
 これまでの生産の効率化の実現速度から考えても
 食糧不足が問題になるレベルではありません。


 にもかかわらず、貧困、飢餓がなくならないのは、
 その社会システムに問題があるからです。

 その問題がある社会システムとは、搾取構造のことです。
 その構造によって餓死者が後を絶たず、
 そのニュースによって、
 先進国の人々に人口増加が餓死の原因と思わせているのです。

 現在、世界で貧困や飢餓が起きているのは、
 この搾取によるもので、
 その搾取をなくしただけで、
 世界から貧困と飢餓は一掃されます。


 先にも書いたように、
 世界は技術開発により、
 様々な生産部門で、生産の効率化が進みました。

 その恩恵に浴すことができるのは、
 現在は、お金を持っていて、その商品を買うことができる人だけです。

 逆に言えば、お金を持っていない人は、
 その人がアフリカの原野に住んでいようと、東京に住んでいようと
 その恩恵を受けることができない。
 というのが現在の社会システムです

 だからこそ、食料が余っている日本に於いても
 餓死者が出るようになってきてしまったのです。

 同じこの時代に生きていて、これは本当に平等なのでしょうか?
 それとも、そういう不平等はあっても構わないことなのでしょうか?



 私は生産の効率化によって生み出される余暇時間は、
 社会資産として国家が全ての国民に配分すべきものだと考えています。
 一つ一つの特許は、個人の財産かもしれないですが、
 その特許を生み出す下地は社会に掛かっています。
 下地そのものは、社会の財産なのです。
 資産を持っている者だけが享受を許され、
 資産を持たない者は享受できないというのは、
 不平等そのものです。

 つまり、社会全体の生産効率がかつての100倍になったとしたら
 一人一人が働かなければならない量は、
 1/100になってもおかしくないはずなのです。
 それを誰かが独り占めするというのは
 おかしなシステムです。

 その、生産効率は産業革命前の
 1万倍、10万倍と言っても良いほどに伸びているはずです。
 その間に平均的な一人の人が求める生産量は
 どの程度に増加しているでしょうか?
 おそらく世の人々の必要としている生産量を平均した時には、
 現在生産可能な生産物の1/100とか1/1,000という量でしかないと
 私には思えています。


 日本の社会では、生産物が余ったことから、
 最初はこれまでなかったいろんなカタカナの職業を生み出すことで
 直接的な生産とならない新たな職場を生みだし、埋め合わせてきました。
 しかし、そういう職業も人員過剰となって余ってしまったから、
 デフレとなって、職のない人々が街に溢れるようになっています。


 もうすでに、労働を義務として、
 「働かざる者食うべからず」という観念で人々を縛って無理に働かさなくても。
 国家から、全ての人々に毎月毎月先人の遺産として
 生活費を配給し消費を盛り上げてもらう時が来ています。


 その上で、国家から貰うだけでは足りない、という人、
 もっと社会貢献をしたかったり、名誉が欲しかったりする人が、
 完全なる自由競争の社会の中で、生産活動をすれば
 事足りるほどに社会は成熟しています。

 これは、共産社会とは違います。
 基本的な必要を満たす責任を国家が負いますが、
 その先は、完全自由競争の社会です。

 更に、原始社会の構造の方が良かったから、原始社会に戻りなさい。
 というのとも違います。
 社会の発展形態として、新たなステージに入ることを示しています。
 原始社会に於いては、生産能力が低く、保存もできないため、
 好む好まないにかかわらず
 閉鎖された狭い社会において労働を分担することが要求されました。

 しかし、現代社会は、労働しなくても多くの人が消費のみで生活でき、
 その余った時間を創作活動に振り向けることができる時代なのです。
 しかも、いとも簡単に、70億の人の中から、
 地球の裏側の誰かを選び出し、情報交換たり、関係を築いたりすることが
 できる時代に私たちは生きています。

 つまり、先人の多くの人々により築かれた、
 生産からコミュニケーション、生活基盤に至までの財産と共に
 新たなモノを生み出すための70億人という財産を私たちは有しているのです。


 100人いれば、100人とも、何もせず遊んでいたいとは言わないはずです。
 どんなに悪くても、おそらく10人の内一人ぐらいは何らかの生産活動をして
 もっとお金を稼ぎたかったり、
 ボランティアなど人の世話をしたかったりするはずなのです。
 実際にはおそらく、1%の人が生産活動をしたら、生産物は事足りる時代に
 私たちはさしかかっています。

 引きこもりというのは、社会に対して負い目があるから引きこもるのです。
 全ての人が自分と同じように国家から生活費を支給して貰い、
 引きこもることが許されてしまったなら、
 負い目を感じる必要がなくなり、
 これまで引きこもっていた人は外に出始めます。


 生活できるだけ誰もが政府から支給してもらっていたとしたら、
 生きるために嫌々仕事をする必要はなくなるので、
 労働者は、辞めたら生活できなくなると心配して、
 安給料で働き続ける事はなくなります。
 また、生活していくために身売り、売春をすることはなくなります。

 雇う側は、不必要になったらいつでも解雇することが許されるようになるし
 未熟な内は、見合うだけ給料を安くすることも許されるようになるでしょう。

 つまり、生きることができるかできないかに関係のなく
 仕事を選択できるため、
 対等な労使関係がそこで生まれることになります。


 そうなると、
 おそらくその世界では、教師のような仕事は誰もがやりたがるので、
 ほとんどボランティアがやる仕事になるでしょう。

 逆に、ゴミ処理、トイレ掃除のような仕事はやりたがる人が居ないので
 給料が高くなるかもしれません。

 更に原発のような放射能を浴びて、
 どのくらい寿命を短くするか分からないような仕事に対しては、
 危険手当が何千倍というぐらい付けないと
 人が集まらなくなる可能性があります。

 ここで生まれるコストが、
 本来の原発のコストと考えて良いだろうと私は思っています。




 そうなった時、
 格安の人件費によって競争力を得てきたチェーンストアーは
 様変わりする可能性があります。
 おそらく、チェーンストアーは、人件費では個人商店には敵わなくなり、
 別の特色によって競争せざるを得なくなるのではないかと思います。

 個人商店は、無理に売れなくても、
 基本的な生活費は政府からもらえているので
 お小遣い稼ぎに経営しているみたいな店が増え、
 売れようが売れまいが関係なく個人個人の好みによって
 地域には個性的な店が豊富になり、街は賑やかになります。





 私たちは祖先から受け継いだ膨大な遺産を持っています。

 そう、  私たちは持っているのです。  すでに。
 持っているのに、持っていないと思わされてきました。

 思い込まされていることにこそ、
 彼らの染脳が行き届いている証拠なのです。



 その財産を使って欲しくないと思っているのは、
 恐怖によってこの世界を支配していたい人達です。

 恐怖というのは、働かないと生きていけないという恐怖です。
 と同時に、誰かに働いてもらわないと生きていけないという恐怖でもあります。

 あなたに財産がないならば、前者の恐怖を抱き
 あなたに財産があった場合には、後者の恐怖を抱きます。



 祖先の遺産というのはその子孫達が楽に暮らしていけるよう
 祖先様が残した財産です。

 その意を汲んで私たちはその財産を積極的に使う時が来ています。



 「働かざる者食うべからず」と言われる呪縛からの解放
 これは人類に新しい時代をもたらすことになるはずです。







 エッ?
 その金をどうやって作り出すかって?

 簡単だよ。

 ヒント、
 私は(2)で金利を批判しています。
 借りた物は返す必要はあったにしても、
 金利までは返す必要がない社会を作れば良いだけです。
 財政から金利の負担が消えた時
 日本の国家は、かなりの財産を持っていることに気づくでしょう。



蟻からキリギリスの時代に向けて(1)

蟻からキリギリスの時代に向けて(2)
蟻からキリギリスの時代に向けて(3)
蟻からキリギリスの時代に向けて(4)
蟻からキリギリスの時代に向けて(5)





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 世に巣喰う(金融,医療,エネルギー等の)利権を排除し、メディアによる染脳から脱却し、オルタナティブな社会の実現を目指しています。
 キーワード、国民配当(ベーシックインカム)、千島学説、地球環境蘇生運動 

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